LATERNA-MAGIKA

幻灯考


雲子石

ここにひとつの石があります。台座のうえにちょこんと乗っていて、なにやらイワク有りげな感じです。そうこの石こそ、約300年ほど前、美濃の川漁師が揖斐川で見つけ、その奇怪なかたちが発する力を、霊験あらたかなるものと勘違いし、そそっかしくも戸津、井伊村の社に祀り、後にそこを参勤交代で通りかった一行のなかにいた茶人柿田沌歩が、是非と貰い受け、ときの藩主河耶寄親へと献上した銘石「雲子石」です。 水の流れと川底の岩石が力を併せて作り出した、この類まれなる造形には、誰をも引きつける不思議な魅力があります。いや自然の造形ではありますが、この様な石は幾千、幾万、幾億回に一つも生まれるとは思えません。自然のなかの不自然な結果と云えましょうか。
ただしこの話、偽話との指摘あり。

藤野の石 前浜の石

青海の石 青海の石

これらは、新潟の青海海岸、新島の前浜、神奈川県藤野町の畑から採集された石です。自然のなかでは、細長い石というものは思いのほか、少ないものです。地球規模の地殻変動から始まって,火山による地震、大雨による洪水、太陽の熱。岩石は、水や風や熱など様々な自然の影響で、割れたり、欠けたりしながら、次第に小さくなっていきます。どんどん角が取れていきます。それは、石が限りなく球体に近づいていく過程ともいえるでしょう。眼で見ることのできる最小のかたちが海岸や砂漠の砂です。
しかしその様なプロセスの中から、わずかではありますが、細長い石が誕生するのです。絶えず自然の力を受けながら、折れずにここまで細くなるとは・・・・・・。
これはもう奇跡としか言いようがないではありませんか。


唐招提寺如来形立像 残欠ーざんけつー
木製の、あるいは鋳造の仏像などが、長い間に、台風や、地震、火災、ときには人災(子供のいたずら、主義主張に振り回されたおとなの打ち壊し、はたまた戦乱のトバッチリ)などによって破壊され、首、手、足?、光背、背中の板などがばらばらになって残ったもの。この画像にない部分のことです。本体は奈良、唐招提寺にありますが、もし今でも首や手首が残っているとすれば、残欠として誰かに愛でられているにちがいありません。
博物館、美術館などに展示されている仏像の持つ文化的、歴史的価値ではなく、哀れかな、時の流れ、はかなさを、まさにその身に纏ってしまったところが、閑人-ひまじん -を引きつけるのです。割れ口の生々しさが時とともに和らぎ、完結したかたちとはまた異なった感動を私たちに与えてくれます。
制作された意図とは裏腹に、壊れながらも残ってしまったもの。かたちをつくる人間-彫刻家? -としては納得いかないところもあるので、まねをして制作する事にしました。

偽佛手

手首のところはどうすることもできません。結局全体をつくるための部分品のようになってしまいました。全部をつくってから壊してみる、というような馬鹿な真似もやってみる価値がありそうです。
いや無いか・・・・


かたちとして、この世界に留まり続けることのできるものは一つも無いということは、誰でも知っています。全てのものは変化の過程にあり、それに身をゆだねるしかありません。
そんな世界にあって、人のつくるかたちというものは、かたちとして、変化に逆らい、留まろうとします。留まろうとする意思を、ひとのつくるかたちは、強く持っているようです。しかし確実に変わっていきます。
唐突ですが、ひとのつくったかたちを愛でるということは、川辺に佇んで、じっと川面を眺めているのと同じ事だ、と言ってしまいましょう。少しも留まっていない、変化しつづけるものは、じっとそこに頑張って留まろうとするものと同じじゃないのかと。
時と呼ばれたりする変化というものに、逆らいつづける事。そこに過去、未来、永遠などという決して知る事などできないものを、感覚として、実感できるのは私だけでしょうか?

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